竹取物語 | 七夕伝説
2009年7月12日 日常 コメント (16)もう過ぎてしまった七夕の伝説です。
竹取の翁___
その昔、竹をとっては竹細工を作って暮らしているおじさんがいた。ある日のこと、光る竹の中から三寸ほどの赤ちゃんをみつけた。自分の子になるべき人だと思い込み、勝手に連れて帰った。三室戸の斎部のあきたは、子に「なよ竹のかぐや姫」と名前をつけた。やがて、子供はすくすくと成長して、人並みの身長になった。その美しさは、世界の三大美女と日本で言われている楊貴妃、クレオパトラ、小野小町の次に美しいと噂されている。
世の若者たちは姫の評判を聞いて、恋い慕い心を乱した。夜は安眠もできず、真っ暗な夜にうろつき歩くけれども、何のかいもなく、そのうち無益なしの忍び歩きだと言って来なくなってしまった。
その中でも相変わらず言い寄ったものが五人いた。石作皇子、車持皇子、右大臣阿倍御主人、大納言大伴御行、中納言石上麿呂である。思いさめることもなく、少しでも器量がよいと聞いては見たく思う人たちで、家のまわりを歩いたり手紙を書いたりしたが、とうとう叶わない夢だった。
おじさんは、姫に結婚を勧めたが、姫は一向に応じる気配がない。あの人たちに、深い愛情があるかどうか心配だと姫は言う。そこでおじさんは姫に尋ねた。どんな愛情のある人と結婚しようというのか。姫は私の見たいものを見せてくれた方と結婚すると言った。
姫は集まった5人の貴公子の方に、それぞれ課題をだした。「仏の御石の鉢」「蓬莱の玉の枝」「火鼠の皮衣」「龍の首の五色の玉」「燕の子安貝」を持ってくれるように言った。持ってきた方と結婚をすると姫は言った。どれもこれも話には聞かない宝物ばかりだ。そんな無理を言うなら、もう家のまわりも歩かないでくれと、どうしてそう言わないのかと、うんざりして5人の貴公子は帰ってしまった。それでも姫を得たいという熱意は消えなかった。5人の貴公子は、知恵の限りを尽くし、勇気を奮い起こして、宝物を手に入れようとした。しかし、誰もが失敗に終わり、命を落とす者もいた。
春の初め、かぐや姫は風情ある月を見ては物思いに沈んでいる。ある人が、「月の顔見るは忌むこと」ととめたが、人の見ていない間に、また月を見つめては涙を流すのであった。七月十五日の月夜には、姫の物思いは深刻になり、おじさんはあれこれと尋ねる。姫は「ただ、心細いの」と答えた。おじさんは「月を見てはいけないよ」と言ったけれど、とても月を見ずにいられない。庭先に出ては月を仰いでため息をついた。
中秋の名月ごろになると、庭先に座って、人目も気にせずに姫は泣いた。これを見て親たちも「いったい何事?」と姫に訊ね騒いだ。姫は泣く泣く答えるのだった。
「前から言わなくてはいけないと思っていたの。でも、きっと心をお乱しになると思って今日まで過ごしてしまった。私はこの国の人じゃないんです。月の都の人なの。前世から約束があって、この地上にきたけれど。でも今は、月から迎えがきて帰らなくてはいけない。ご両親が嘆き悲しむことを、この春から心配していたんです」と言って、姫はひどく泣いた。
「これは何ということのたまうぞ。竹の中より見つけきこえたりしかど、菜種の大きさおはせしを、わが竹立ち並ぶまで養いたてまつりたるわが子を、何人か迎えきこえむ。まさに許さむや」とおじさんは答えた。
これを聞いて姫は「死ぬほどつらい」と言った。
こんなに長く、楽しいときを過ごさせてくれたのに。姫は耐え切れない様子で、悲しみに泣き伏した。このことを聞いた帝は、竹取のおじさんの家に勅使を派遣した。おじさんに会った勅使は驚いた。心配のため、ほんのわずかな時間で老人になってしまったと見える。おじさんは、ひげが白くなり、腰も曲がって、目も涙でただれてしまった。
勅使は宮中に帰参して、帝にありさまを申して、月の都の人がやってきたら捕らえさせましょうと相談した。勅使は、六衛府の武官たち二千人を派遣して、土塀の上、屋根の上、隙間なく守備させた。
「これほどの守備する所で、どうして天人に負けることがあろう。姫を必ずお守りもうす」そう両親に、勅使は豪語した。
宵を過ぎて、午前零時ごろに満月は膨張した。家のあたりが見渡すかぎり光り輝いて、大空から雲に乗った月の天人が舞い降りた。武官たちは、物の怪に襲われた状態で、弓矢も射られず、戦意も失い、迎え討とうとする心も消えてしまった。ただ、気持ちがぼんやりとして顔を見合わせている。
天人は、屋根の上に飛ぶ車を寄せて、
「さあ、かぐや姫よ。下界の汚れた所に、これ以上いる必要などない」と言った。
すると、厳重に準備をして、とじこもり、閉め切った塗籠の戸や格子は魔法のように開き、姫は外に出てしまった。心を取り乱して泣き伏している両親のそばに寄り添い、姫はこう言った。
「私も、本心ではありません。でも、こうして帰っていくのですから、せめて昇っていくところだけでも見送ってください」
「何しに悲しきに見送り奉らん。我をばいかにせよとて、棄てゝは昇り給ふぞ。具して率ておはせね」そう両親に言われて、姫は途方にくれてしまう。
それなら、文を書いて置いておくと姫は言って、
「この國に生れぬるとならば、歎かせ奉らぬ程まで侍るべきを、侍らで過ぎ別れぬること、返すがえす本意なくこそ覺え侍れ。脱ぎおく衣きぬをかたみと見給へ。月の出でたらん夜は見おこせ給へ。見すて奉りてまかる空よりもおちぬべき心ちす。」と書いた。
天人は箱から薬を取り出して、姫に言った。
「さあ、これを飲みたまえ。下界の汚れたものを食べていたから、だから、そんな心境になるのだ」
天人が持っている箱には、天の羽衣と不死の薬が入っていた。天人はその箱から薬を取り出し姫に近づいた。姫は少し薬をなめて、その薬を脱いだ着物にくるんで、両親に形見として渡そうとした。しかし、天人はそれを許さない。そして、天の羽衣を着せようとする。そのとき姫は「少し待って」と言った。
この羽衣を着れば、たちまち下界のことは忘れ、天人の義理人情を理解できない心になってしまう。両親との別離を悲しむ心を失ってしまう。
「今はとて天の羽衣着るおりぞ。君をあわれと思ひいでける」と歌をよんで、薬を添えて両親に渡した。手渡したのちに、天人は姫に天の羽衣を着せた。両親をいとおしく不憫だという心も、人の情も消え失せてしまった。姫は空飛ぶ車に乗って昇天していった。
「あふことも涙にうかぶわが身にはしなぬくすりも何にかはせむ」
姫に会えないのなら、死なぬ薬も何になろうと、両親は駿河にある山の山頂で不死の薬を燃やしてしまった。その山をふしの山とは名づけた。その煙いまだ雲の中へたち昇ると言い伝えられた。
ふしの山とは不死の山であり、今の富士山のことであるという伝説がある。
竹取の翁___
その昔、竹をとっては竹細工を作って暮らしているおじさんがいた。ある日のこと、光る竹の中から三寸ほどの赤ちゃんをみつけた。自分の子になるべき人だと思い込み、勝手に連れて帰った。三室戸の斎部のあきたは、子に「なよ竹のかぐや姫」と名前をつけた。やがて、子供はすくすくと成長して、人並みの身長になった。その美しさは、世界の三大美女と日本で言われている楊貴妃、クレオパトラ、小野小町の次に美しいと噂されている。
世の若者たちは姫の評判を聞いて、恋い慕い心を乱した。夜は安眠もできず、真っ暗な夜にうろつき歩くけれども、何のかいもなく、そのうち無益なしの忍び歩きだと言って来なくなってしまった。
その中でも相変わらず言い寄ったものが五人いた。石作皇子、車持皇子、右大臣阿倍御主人、大納言大伴御行、中納言石上麿呂である。思いさめることもなく、少しでも器量がよいと聞いては見たく思う人たちで、家のまわりを歩いたり手紙を書いたりしたが、とうとう叶わない夢だった。
おじさんは、姫に結婚を勧めたが、姫は一向に応じる気配がない。あの人たちに、深い愛情があるかどうか心配だと姫は言う。そこでおじさんは姫に尋ねた。どんな愛情のある人と結婚しようというのか。姫は私の見たいものを見せてくれた方と結婚すると言った。
姫は集まった5人の貴公子の方に、それぞれ課題をだした。「仏の御石の鉢」「蓬莱の玉の枝」「火鼠の皮衣」「龍の首の五色の玉」「燕の子安貝」を持ってくれるように言った。持ってきた方と結婚をすると姫は言った。どれもこれも話には聞かない宝物ばかりだ。そんな無理を言うなら、もう家のまわりも歩かないでくれと、どうしてそう言わないのかと、うんざりして5人の貴公子は帰ってしまった。それでも姫を得たいという熱意は消えなかった。5人の貴公子は、知恵の限りを尽くし、勇気を奮い起こして、宝物を手に入れようとした。しかし、誰もが失敗に終わり、命を落とす者もいた。
春の初め、かぐや姫は風情ある月を見ては物思いに沈んでいる。ある人が、「月の顔見るは忌むこと」ととめたが、人の見ていない間に、また月を見つめては涙を流すのであった。七月十五日の月夜には、姫の物思いは深刻になり、おじさんはあれこれと尋ねる。姫は「ただ、心細いの」と答えた。おじさんは「月を見てはいけないよ」と言ったけれど、とても月を見ずにいられない。庭先に出ては月を仰いでため息をついた。
中秋の名月ごろになると、庭先に座って、人目も気にせずに姫は泣いた。これを見て親たちも「いったい何事?」と姫に訊ね騒いだ。姫は泣く泣く答えるのだった。
「前から言わなくてはいけないと思っていたの。でも、きっと心をお乱しになると思って今日まで過ごしてしまった。私はこの国の人じゃないんです。月の都の人なの。前世から約束があって、この地上にきたけれど。でも今は、月から迎えがきて帰らなくてはいけない。ご両親が嘆き悲しむことを、この春から心配していたんです」と言って、姫はひどく泣いた。
「これは何ということのたまうぞ。竹の中より見つけきこえたりしかど、菜種の大きさおはせしを、わが竹立ち並ぶまで養いたてまつりたるわが子を、何人か迎えきこえむ。まさに許さむや」とおじさんは答えた。
これを聞いて姫は「死ぬほどつらい」と言った。
こんなに長く、楽しいときを過ごさせてくれたのに。姫は耐え切れない様子で、悲しみに泣き伏した。このことを聞いた帝は、竹取のおじさんの家に勅使を派遣した。おじさんに会った勅使は驚いた。心配のため、ほんのわずかな時間で老人になってしまったと見える。おじさんは、ひげが白くなり、腰も曲がって、目も涙でただれてしまった。
勅使は宮中に帰参して、帝にありさまを申して、月の都の人がやってきたら捕らえさせましょうと相談した。勅使は、六衛府の武官たち二千人を派遣して、土塀の上、屋根の上、隙間なく守備させた。
「これほどの守備する所で、どうして天人に負けることがあろう。姫を必ずお守りもうす」そう両親に、勅使は豪語した。
宵を過ぎて、午前零時ごろに満月は膨張した。家のあたりが見渡すかぎり光り輝いて、大空から雲に乗った月の天人が舞い降りた。武官たちは、物の怪に襲われた状態で、弓矢も射られず、戦意も失い、迎え討とうとする心も消えてしまった。ただ、気持ちがぼんやりとして顔を見合わせている。
天人は、屋根の上に飛ぶ車を寄せて、
「さあ、かぐや姫よ。下界の汚れた所に、これ以上いる必要などない」と言った。
すると、厳重に準備をして、とじこもり、閉め切った塗籠の戸や格子は魔法のように開き、姫は外に出てしまった。心を取り乱して泣き伏している両親のそばに寄り添い、姫はこう言った。
「私も、本心ではありません。でも、こうして帰っていくのですから、せめて昇っていくところだけでも見送ってください」
「何しに悲しきに見送り奉らん。我をばいかにせよとて、棄てゝは昇り給ふぞ。具して率ておはせね」そう両親に言われて、姫は途方にくれてしまう。
それなら、文を書いて置いておくと姫は言って、
「この國に生れぬるとならば、歎かせ奉らぬ程まで侍るべきを、侍らで過ぎ別れぬること、返すがえす本意なくこそ覺え侍れ。脱ぎおく衣きぬをかたみと見給へ。月の出でたらん夜は見おこせ給へ。見すて奉りてまかる空よりもおちぬべき心ちす。」と書いた。
天人は箱から薬を取り出して、姫に言った。
「さあ、これを飲みたまえ。下界の汚れたものを食べていたから、だから、そんな心境になるのだ」
天人が持っている箱には、天の羽衣と不死の薬が入っていた。天人はその箱から薬を取り出し姫に近づいた。姫は少し薬をなめて、その薬を脱いだ着物にくるんで、両親に形見として渡そうとした。しかし、天人はそれを許さない。そして、天の羽衣を着せようとする。そのとき姫は「少し待って」と言った。
この羽衣を着れば、たちまち下界のことは忘れ、天人の義理人情を理解できない心になってしまう。両親との別離を悲しむ心を失ってしまう。
「今はとて天の羽衣着るおりぞ。君をあわれと思ひいでける」と歌をよんで、薬を添えて両親に渡した。手渡したのちに、天人は姫に天の羽衣を着せた。両親をいとおしく不憫だという心も、人の情も消え失せてしまった。姫は空飛ぶ車に乗って昇天していった。
「あふことも涙にうかぶわが身にはしなぬくすりも何にかはせむ」
姫に会えないのなら、死なぬ薬も何になろうと、両親は駿河にある山の山頂で不死の薬を燃やしてしまった。その山をふしの山とは名づけた。その煙いまだ雲の中へたち昇ると言い伝えられた。
ふしの山とは不死の山であり、今の富士山のことであるという伝説がある。
コメント
とある大学の文系の出なのでしょうか?
それとも独学?
子を想う親心の深さも見受けられるが、反面親の身勝手さも見えて複雑。
月の都の人、空飛ぶ車、不老不死の薬、天の羽衣、不思議な言葉がたくさんでてきますが、謎に包まれた面白い話です。円盤とか宇宙人なんかと関係あるんでしょうか。奈良時代にも円盤が地球に現れたんでしょうか。
時代背景に沿った批判をかぐや姫という物語で語りたかったんでしょうか。
竹取物語や天の羽衣伝説は、昔から「あれは実は宇宙人なのだ」と
SFの題材にされ続けておりまして~
パロってる小説も多いのよね~(^^)
そうなると、もう笑い話になっちゃうよね。
ちなみに「浦島太郎」はカメ型タイムマシンだと言われておりますw
はい、夢のないワテクシは大槻教授の大ファンでございます。
そして都市伝説みたいな裏があるのかなって読むと色々な見方ができてもっと面白いですよねー!
この形の伝承は、一般的ではあるんですが(^_^;)
構造的には、
ヒトデナシとヒトは相容れないという道理。
紛いモノは道義に反するという教訓譚。
親子の情を(血の繋がりの有無は置くとして)貴いとせざるを得ない倫理感。
口承を後世に伝えるために必要とされるエンタメント性の発露。
その他にも、まだいくつかある筈なんですが...それらを意図的に混在させる事が目的の様な気がしてます。
遡れば記紀を意訳し(ミスリード)させています。
ひとつの状況は、見る者により如何様にも解釈できる事例の一つだと私は解釈しています♪
何度か他の方のDNで名前やコメントを拝見していました。
竹取物語、僕も好きです。
人の情や欲、不完全なものだからこそドラマは生まれるのかな、と思います。
もしアダムとイヴが禁断の果実に興味を持つことなく、口にすることがなかったら・・・つまらない世の中になってたのかな?もちろんこんな竹取物語を始めとするお話は出来なかったのかな?なんて考えます。
あ、でも感情自体が無ければ“つまらない”なんて感じないでしょうね。
これからも読ませてもらおうかな、と思いリンクしました。
よろしくお願いします!!
無知すぎる・・・・というか比較対象すべきものでは無かったです。
私が読んだのは童話のかぐや姫だもーん。
ンにしても皆さんよく知ってらっさる。
知ってるのが常識!?つうぅーことですね。
古典が苦手という事で。。。。あっ、だめですか? orz
が、いいですね。
久しぶりに古典を読んでると学生時代を思い出しました。
『月の顔見るは忌むこと』というのがあったんですねぇ
面白いのでウィキって勉強して出直してきます。
どこの日記を見てもKei.Kさんのコメントが書かれていて、この人はコメンテーターとか思ってました。人は不完全だからドラマが生まれる、そのとおりですね。
伊耶那岐の命と伊耶那美の命が島を生成するとき、
伊耶那美の命に「あなたの身体はどのようにできていますか?」とお尋ねなれば、「わたしの身体はできて、でき損ねたところがひとつあります」とお答えになりました。それを聞いた伊耶那岐の命は「わたしの身体は、できすぎて余っているところがあり、このわたしの余っているところと、あなたのでき損なったところを合わせて、国を生もうと思うがいかがだろう」と仰せになられました。
なんか、笑ってしまいますよね。Kei.Kさん。
リンクありがとうございます。うれしいです。
昔は月を見てはいけないと言われてたんですね。赤ちゃんがおなかにいるとき、月の光に顔を当ててはいけない、とかいう話もあります。月と生命は深い関係があって、満月の夜は殺人や交通事故が多いとか、人の感情にも関係があるらしいです。
古文ってきれいで的確に感情を表現していると思います。
コメンテーター的なことは好きですよ。
素直に思ったことがあれば伝えたいですね。(否定や中傷でなければ)
伊耶那岐は確かに話のスケールが大きいんですよね。
伊耶那美を失った時の涙から泣沢女神が生まれたって話は好きですよ。
愛なのかなーって。
でも黄泉国で腐臭した伊耶那美を見て逃げ黄泉比良坂で封印してしまうのはいささか考えさせられます。
伊耶那岐は激情家なのかな?とか都合主義思想なのかな?とか。
かくのさんやkajさんの言う通り十人十色の見解できてしまいますね。
って、やっぱりコメンテーター紛いですかね?
失礼致しました。
Kei.Kさんも古事記を読んだんですね。死んだイザナミが恋しくて、黄泉の国に会いに行ったのに、約束を破ってしまったイザナギ。昔から女性は約束を破られると、それが許せないみたいですね。その他、桃太郎、浦島太郎、因幡の白うさぎに関連した話が出てきて面白いですね。