その硝子は透き通っていた。硝子の向こうに女性が淋しそうに、薄茶色のレンガの上に座っていた。僕は話をしてみたいと思った。でも、何を話せばいいんだろう。どうも照れくさくて、しばらく女性を見ていたが、僕はどうしても黙っていられず、勇気をだして声をかけた。
「あの……」声が小さかったのか、女性は花を見たまま動かない。
「あの」今度は大きい声を出した。
女性は花壇の黄色い花に心を奪われているのか。満足感に浸っているようだ。僕は硝子の前で女性をみつめた。そして、硝子に手のひらを合わせた。冷たい硝子は、僕の体温を少しずつ奪っていく。
僕は硝子を叩きたい衝動にかられる。実際、僕は硝子を少しだけ叩いた。こつんと音がして、女性が初めてこちらを向いた。別に驚いた様子もなく、女性は僕を見て微笑んだ。その微笑みはどことなく淋しさが漂っていた。僕は硝子の中に入りたいと思った。いったいどこから入ればいいんだろう。入口をさがす僕の挙動不審な様子を鑑みて、女性は立った。
「私の心の中にあるのよ」と言い、僕の方に近づいてきた。
「ねえ、私が何を言っても信じてくれる?」女性は僕の前で立ち止まった。
細い声だが、女性の力強い意思を感じた。僕は動揺した。いったい、これからどんな話をするというんだ。僕はひとめで女性に恋心をもってしまった。もうあとには退けない。女性のためなら何でもしようと思っている。
「私、人を殺したことがあるのよ」
ころした?人を。
転がしたの間違いじゃないのか、と僕は思った。
「殺意がなくたって、人は人を殺せるものよ」
「どういうこと?」
女性はそれっきり黙った。深い沈黙が下りた。
どんなことを聞いたって変わりはしないさ、と僕は心でそう思った。言葉は口から出た途端に過去のものになっていく。だから僕は言葉に出すことが不安だった。
女性を見ていた僕は、胸の奥が痛くなって涙が出た。どうして僕は泣いているんだろう。透き通った硝子は悲しみのブルーに染まった。見えなくなっていく女性。僕は硝子に身をあずけてうなだれた。硝子は天体のかけらのようにきらきらと光った。
そして目が覚めた。
「あの……」声が小さかったのか、女性は花を見たまま動かない。
「あの」今度は大きい声を出した。
女性は花壇の黄色い花に心を奪われているのか。満足感に浸っているようだ。僕は硝子の前で女性をみつめた。そして、硝子に手のひらを合わせた。冷たい硝子は、僕の体温を少しずつ奪っていく。
僕は硝子を叩きたい衝動にかられる。実際、僕は硝子を少しだけ叩いた。こつんと音がして、女性が初めてこちらを向いた。別に驚いた様子もなく、女性は僕を見て微笑んだ。その微笑みはどことなく淋しさが漂っていた。僕は硝子の中に入りたいと思った。いったいどこから入ればいいんだろう。入口をさがす僕の挙動不審な様子を鑑みて、女性は立った。
「私の心の中にあるのよ」と言い、僕の方に近づいてきた。
「ねえ、私が何を言っても信じてくれる?」女性は僕の前で立ち止まった。
細い声だが、女性の力強い意思を感じた。僕は動揺した。いったい、これからどんな話をするというんだ。僕はひとめで女性に恋心をもってしまった。もうあとには退けない。女性のためなら何でもしようと思っている。
「私、人を殺したことがあるのよ」
ころした?人を。
転がしたの間違いじゃないのか、と僕は思った。
「殺意がなくたって、人は人を殺せるものよ」
「どういうこと?」
女性はそれっきり黙った。深い沈黙が下りた。
どんなことを聞いたって変わりはしないさ、と僕は心でそう思った。言葉は口から出た途端に過去のものになっていく。だから僕は言葉に出すことが不安だった。
女性を見ていた僕は、胸の奥が痛くなって涙が出た。どうして僕は泣いているんだろう。透き通った硝子は悲しみのブルーに染まった。見えなくなっていく女性。僕は硝子に身をあずけてうなだれた。硝子は天体のかけらのようにきらきらと光った。
そして目が覚めた。
一つは妹が癌で亡くなった時の事です。 享年三十七歳、子供三人残して亡くなりました。平成三年五月十九日に、「兄さん頑張ってね」と笑って言う妹の夢を見ました。 真夜中、父から電話があり、妹が危篤だと言われました。すぐ行こう。車で飛ばして行くと、妹は息も絶え絶えに、父と私に指を動かしました。 うんうんと溢れる涙をおさえ、妹の手を握りました。父に励まされ妹は、一旦持ち直しましたので安心して帰りました。しかし、その一時間後に妹は息を引き取りました。 小さな姪は意味も分からずに、
「ママはお眠りしちゃった」と言いました。その言葉が耳に残っています。
二つ目は平成四年の春の事、その日、教室に残り残業をしていたら、突然、ガッシャ-ン!と棚から落ちる物があった。 ビデオテープ数本だった。落ちるはずもないのに。私は片付けて、そのまま帰った。次の日、稽古中何気なくテレビをつけたら殺人事件のニュースが流れた。 青森市の事件というので注視してたら、なんと被害者の名前と顔写真が映り、私は愕然となった。十九歳になる教え子の清ちゃんだったのだ。
机の引き出しを開けた。彼女の中学の頃、書いていた清ちゃんの日記がある。舌っ足らずな甘えん坊の女の子だった。すぐ彼女の家に飛んで行ったら、遺体は解剖のためまだ返ってこないと、目を腫らした母の顔が痛々しかった。
教室に戻り、彼女の遺品を探していた時、あのビデオが落ちた時間と殺された時間と一致しているので驚いた。 棚からとりだしてみると、昔の生徒の運動会のテープがあった。再生してみたら、ほどなく清ちゃんが賞状を持って笑っている映像が流れた。なんと言うことだ。 私は合掌した。初めて彼女の悔しさと、会いに来てくれた感謝で涙が溢れ、声を出して泣いたのだった。 つい一ヶ月前に彼氏ができたと二人で挨拶にきたばかりで、その彼に命を奪われるとは……。 人の運命の恐ろしさをまざまざと知った事件であった。 合掌
夕べ書いた事件は、当時、かなりショッキングな事件で街中の悲しみを誘いました。また、彼女を知る人達は信じられないと嘆いていました。私の手元には彼女の残した漫画や仲良し三人組(ひろみ、まいこ、きよこで、ヒマキントリオ)のノートが何冊もあります。その中の一冊と、私が編集した追悼テープを棺に入れてやりました。彼女は白い美しい顔をして花に囲まれて逝きましたよ。
亡くなる方が、身内や友人の所を回るのは、時間を越えて、一瞬に一度に複数の地を回る事が出来ます。ただ三週間であっても、執着して旅立ちせずにいると、道先案内がきて説得にまいります。ハトポンの話にありましたね。この世のしがらみを皆捨てて還るように説得されるのです。 亡くなった事は悲しいのですが、いつまでも泣いていると本人はなかなか逝けません。「私たちの事は心配しないで、あなたの生前の優しさやお人柄は私たちの模範でした。安心して旅立って下さい」と祈ることが大切です。逆に「何故死んだの?帰ってきて。あなたがいないなんて私は生きてゆけない」当人を困らせたり悩ませる唱え方はご法度です。周りに一人くらいいますよね。優しく諭してあげましょう。
投稿者>紋次郎
「ママはお眠りしちゃった」と言いました。その言葉が耳に残っています。
二つ目は平成四年の春の事、その日、教室に残り残業をしていたら、突然、ガッシャ-ン!と棚から落ちる物があった。 ビデオテープ数本だった。落ちるはずもないのに。私は片付けて、そのまま帰った。次の日、稽古中何気なくテレビをつけたら殺人事件のニュースが流れた。 青森市の事件というので注視してたら、なんと被害者の名前と顔写真が映り、私は愕然となった。十九歳になる教え子の清ちゃんだったのだ。
机の引き出しを開けた。彼女の中学の頃、書いていた清ちゃんの日記がある。舌っ足らずな甘えん坊の女の子だった。すぐ彼女の家に飛んで行ったら、遺体は解剖のためまだ返ってこないと、目を腫らした母の顔が痛々しかった。
教室に戻り、彼女の遺品を探していた時、あのビデオが落ちた時間と殺された時間と一致しているので驚いた。 棚からとりだしてみると、昔の生徒の運動会のテープがあった。再生してみたら、ほどなく清ちゃんが賞状を持って笑っている映像が流れた。なんと言うことだ。 私は合掌した。初めて彼女の悔しさと、会いに来てくれた感謝で涙が溢れ、声を出して泣いたのだった。 つい一ヶ月前に彼氏ができたと二人で挨拶にきたばかりで、その彼に命を奪われるとは……。 人の運命の恐ろしさをまざまざと知った事件であった。 合掌
夕べ書いた事件は、当時、かなりショッキングな事件で街中の悲しみを誘いました。また、彼女を知る人達は信じられないと嘆いていました。私の手元には彼女の残した漫画や仲良し三人組(ひろみ、まいこ、きよこで、ヒマキントリオ)のノートが何冊もあります。その中の一冊と、私が編集した追悼テープを棺に入れてやりました。彼女は白い美しい顔をして花に囲まれて逝きましたよ。
亡くなる方が、身内や友人の所を回るのは、時間を越えて、一瞬に一度に複数の地を回る事が出来ます。ただ三週間であっても、執着して旅立ちせずにいると、道先案内がきて説得にまいります。ハトポンの話にありましたね。この世のしがらみを皆捨てて還るように説得されるのです。 亡くなった事は悲しいのですが、いつまでも泣いていると本人はなかなか逝けません。「私たちの事は心配しないで、あなたの生前の優しさやお人柄は私たちの模範でした。安心して旅立って下さい」と祈ることが大切です。逆に「何故死んだの?帰ってきて。あなたがいないなんて私は生きてゆけない」当人を困らせたり悩ませる唱え方はご法度です。周りに一人くらいいますよね。優しく諭してあげましょう。
投稿者>紋次郎
僕、部屋の隅っこで、
膝を抱えて、
雨が通り過ぎるのを待っているんだ。
ずーと、ずーと。
僕の名前?
僕、名前なんかないよ。
雨の中に住んでいる、
泣き虫少年の怪。
妖怪のようなもの、
だけど…
幽霊とは違うんだ。
幽霊って…
恨み、怨念とか意思を持っていて、
死者の霊は、
どこへ逃げたって追いかける。
それは個人的な因果関係なんだ。
僕の住む雨の世界。
夜遅く出ても、
人に見られないと都合が悪いから、
夕暮れの昼と夜、
曖昧な境界の時間に現れる。
これでもお化けの世界は難しいんだ。
それでね、
僕…
明るいのか暗いのか解らない、
雨の降る日にも現れる。
何か…
警告をしなければ、
だから…
見られて怖がらせなくては、
ならないんだ。
僕…
泣くのが得意だから、
泣いて君を困らせる。
う…うぇ…ふっ……ふぇ…
ふぇ----。
膝を抱えて、
雨が通り過ぎるのを待っているんだ。
ずーと、ずーと。
僕の名前?
僕、名前なんかないよ。
雨の中に住んでいる、
泣き虫少年の怪。
妖怪のようなもの、
だけど…
幽霊とは違うんだ。
幽霊って…
恨み、怨念とか意思を持っていて、
死者の霊は、
どこへ逃げたって追いかける。
それは個人的な因果関係なんだ。
僕の住む雨の世界。
夜遅く出ても、
人に見られないと都合が悪いから、
夕暮れの昼と夜、
曖昧な境界の時間に現れる。
これでもお化けの世界は難しいんだ。
それでね、
僕…
明るいのか暗いのか解らない、
雨の降る日にも現れる。
何か…
警告をしなければ、
だから…
見られて怖がらせなくては、
ならないんだ。
僕…
泣くのが得意だから、
泣いて君を困らせる。
う…うぇ…ふっ……ふぇ…
ふぇ----。
いつも僕、部屋の片隅で息を潜めている。
でも、夕暮れになると、辻なんかに徘徊することもあるよ。
辻に仲間がいて、今日は何人の人間を脅かしたとか自慢し合ってる。
あの日も、
夜中に憂鬱な雨が降って、
外に飛び出しちゃった。
それがいけなかったんだ。
辻まで行ったけど、仲間がいない。
つまらないな。
とぼとぼ、
歩くと前方に橋が見えた。
橋の付近まで来たとき、
髪の長いお姉さんが立っていて、
こちらをじっと見てる。
お菊さんかなと思った。
でも、違ったよ。
わたし、きれい?と僕に聞くんだもの。
お菊さんはそんなこと聞かない。
僕、わからないよって答えた。
だって、
大きなマスクをして、
顔が隠れて見えないから。
すると、
マスクをはずして----。
「どう?あたし、きれい」
う…ふぇ…。
僕、
頭を抱えて、しゃがみ込んで、
心の中で、あっちへ行けって叫んだ。
もう、いいかな。
いなくなったかな。
腕から顔を出してのぞくと、
それは、僕をじっと見下ろしていた。
う…うぇ…ふっ……ふぇ…。
僕、怖くて、怖くて、
逃げ出した。
口が耳元まで裂けていたよ。
何だろうあれ…。
妖怪は仲間通しで驚かしちゃいけないルールがあるから。
きっと、あれは人かも。
人って怖い。
でも、夕暮れになると、辻なんかに徘徊することもあるよ。
辻に仲間がいて、今日は何人の人間を脅かしたとか自慢し合ってる。
あの日も、
夜中に憂鬱な雨が降って、
外に飛び出しちゃった。
それがいけなかったんだ。
辻まで行ったけど、仲間がいない。
つまらないな。
とぼとぼ、
歩くと前方に橋が見えた。
橋の付近まで来たとき、
髪の長いお姉さんが立っていて、
こちらをじっと見てる。
お菊さんかなと思った。
でも、違ったよ。
わたし、きれい?と僕に聞くんだもの。
お菊さんはそんなこと聞かない。
僕、わからないよって答えた。
だって、
大きなマスクをして、
顔が隠れて見えないから。
すると、
マスクをはずして----。
「どう?あたし、きれい」
う…ふぇ…。
僕、
頭を抱えて、しゃがみ込んで、
心の中で、あっちへ行けって叫んだ。
もう、いいかな。
いなくなったかな。
腕から顔を出してのぞくと、
それは、僕をじっと見下ろしていた。
う…うぇ…ふっ……ふぇ…。
僕、怖くて、怖くて、
逃げ出した。
口が耳元まで裂けていたよ。
何だろうあれ…。
妖怪は仲間通しで驚かしちゃいけないルールがあるから。
きっと、あれは人かも。
人って怖い。
【世にも怖い「口裂け女」が南国の宮崎に出没、耳元まで裂けた口でにやっと笑い、小学生を追いかけ回す。学校へ行くのが怖いと登校拒否する子までいる。地元警察では怪女騒動に乗り出したが…】スポーツニッポン1979年5月21日付。
ああ、憎きは松江の藩士某、その妻。
あたしを憎みて、南京の皿を十枚の内、一枚を割り井戸へ落とした。
盗み取ったと無実の罪を被せ、あたしに折檻を加え----。
罪を解く術もなく、あたしは井戸端に首をくくった。
ひとぉっ…
ふたぁっ…
------
ここのっ…
はぁ…あ…うっ…くっ…
涙で顔がぐちゃぐちゃだ。
えぇーと、
ひとぉっ…
ふたぁっ…
------
ここのっ…
ワッ!
ふぇ…
だ、誰かぁ…
とぉっと言って。
毎夜、皿を数えるお菊さんの声がする。
一つから九つまで数えてから泣きくずれる。
どうしても一枚足りない。
でも、ぼくは知っている。
最初から皿は九つしかなかったんだ。
思い込みや偏見が、
あー、うらめしい。
霊たちは自分が本当に望んでいることは何なのか。
それを探してさ迷っている。
痛みや苦しみを逃れて、喜びを求めているんだ。
いろんな試みをしても成功したためしがない。
今日も恐怖が喋っている。
過去と未来のことばかり気になって、
自分のまわりで起きていることに気づかず、
他の人が言っている言葉も聞こえず、
いつも自分の心の中で対話している。
霊は今という時間を失ってしまったんだ。
お菊さん、恐怖と執着から解き放って、
自由に井戸から飛び立っておくれよ。
あたしを憎みて、南京の皿を十枚の内、一枚を割り井戸へ落とした。
盗み取ったと無実の罪を被せ、あたしに折檻を加え----。
罪を解く術もなく、あたしは井戸端に首をくくった。
ひとぉっ…
ふたぁっ…
------
ここのっ…
はぁ…あ…うっ…くっ…
涙で顔がぐちゃぐちゃだ。
えぇーと、
ひとぉっ…
ふたぁっ…
------
ここのっ…
ワッ!
ふぇ…
だ、誰かぁ…
とぉっと言って。
毎夜、皿を数えるお菊さんの声がする。
一つから九つまで数えてから泣きくずれる。
どうしても一枚足りない。
でも、ぼくは知っている。
最初から皿は九つしかなかったんだ。
思い込みや偏見が、
あー、うらめしい。
霊たちは自分が本当に望んでいることは何なのか。
それを探してさ迷っている。
痛みや苦しみを逃れて、喜びを求めているんだ。
いろんな試みをしても成功したためしがない。
今日も恐怖が喋っている。
過去と未来のことばかり気になって、
自分のまわりで起きていることに気づかず、
他の人が言っている言葉も聞こえず、
いつも自分の心の中で対話している。
霊は今という時間を失ってしまったんだ。
お菊さん、恐怖と執着から解き放って、
自由に井戸から飛び立っておくれよ。
雨が降らない日、ぼくは霊の世界にいる。
そこで、お菊さんという貧しい農家のお姉さんと知り合った。
生前は名主の子守奉公をしていたらしい。
子守のために家の外を歩きまわって、泣き叫ぶ赤ん坊をようやく寝かしつけて家に戻ったら、
「日暮れた時間までどこ行ってたの」と、女主人に叱られた。
この女主人嫌いだ。
晩ご飯抜きで、お菊さんは外に追い出されてしまった。
赤ん坊を抱いたまま、沼の辺に行くと、お菊さんは沼の水を飲もうとして屈んだ。
そのとき、恐ろしいことが起きてしまった。
はずみで、背中の赤ん坊がスルリと水の中に落ちてしまったんだ。
お菊さんは恐ろしくなって逃げ出し、墓地でサルスベリの枝に帯をかけて首をくくってしまった。
名主は赤ん坊を捜したけど見つからない。
お菊さんは死体となって墓地で発見されたが、供養する者がいないので無縁仏として埋められてしまった。
今でもお菊さんは墓地の片隅で子守唄を歌っている。
そして、幼くして亡くなった水子の霊の子守をしているんだ。
が、がんばれ、お菊さん。
そこで、お菊さんという貧しい農家のお姉さんと知り合った。
生前は名主の子守奉公をしていたらしい。
子守のために家の外を歩きまわって、泣き叫ぶ赤ん坊をようやく寝かしつけて家に戻ったら、
「日暮れた時間までどこ行ってたの」と、女主人に叱られた。
この女主人嫌いだ。
晩ご飯抜きで、お菊さんは外に追い出されてしまった。
赤ん坊を抱いたまま、沼の辺に行くと、お菊さんは沼の水を飲もうとして屈んだ。
そのとき、恐ろしいことが起きてしまった。
はずみで、背中の赤ん坊がスルリと水の中に落ちてしまったんだ。
お菊さんは恐ろしくなって逃げ出し、墓地でサルスベリの枝に帯をかけて首をくくってしまった。
名主は赤ん坊を捜したけど見つからない。
お菊さんは死体となって墓地で発見されたが、供養する者がいないので無縁仏として埋められてしまった。
今でもお菊さんは墓地の片隅で子守唄を歌っている。
そして、幼くして亡くなった水子の霊の子守をしているんだ。
が、がんばれ、お菊さん。
釣り人は釣りをしている。
川にさまざまな汚染物が流れ込み、悪臭が漂う。その水の中で魚は生息している。
自然を破壊した人間は汚染された場所から、もっと水のきれいな場所を求めて移動する。
文化のあるところに自然はなくなり、人工の川、人工の山、人工の草花が造られ、人工の川に対応できない魚は淘汰され、やがて人工の魚が造られた。
釣り人は造られた自然を嘆き悲しむ。
子供の頃、釣りをすることによって自然と戯れ、泥まみれで遊んだ思い出が蘇る。
釣り人は昔ながらの仕掛けを作り、川に投げ込んだ。
一向にあたりはなく、ただ、悪戯に風が道糸に絡みつく。
「おじさん、それ、なに?」
隣りで釣りをしている、黒ずくめの子供が訊いた。
ふと、釣り人は我に帰り、
「これはね、おじさんが子供のとき、魚釣りをした仕掛けというものだよ」
にっこりしながら子供に優しく答える。
子供は不思議そうに糸を眺め、
「へえー、でも、魚をさがす検知システムはどこにあるの?」
釣り人は苦笑いして、そして、悲しそうに子供を見た。
「ほら、糸に浮きがついてる。それで、魚が餌を食べると、浮きが沈むので分かるのさ」
子供は呆れた表情をして、
「それで、釣れたの?」
「いや、まったく釣れやしない。人工の魚は賢いからね」
子供は小さく鼻を鳴らし、「つまんない」と言いながら、そっぽを向いてしまった。
超音波のボタンを押し、検知システムのブザーが鳴るとレザーを当てた。
水中を走るレザー光線は魚に命中し、水面にぷかぷかと魚が浮いた。
子供が魚に無重力スポイトを当てると、魚は空中を飛び上がって、簡単に捕りこむことができた。
「なーんだ、小さいのばかり」
つまらなそうに子供は呟いた。
釣り人はそんな子供の様子を見ると、飽き飽きした表情で道具を片付け始めた。
----それで、魚釣れたの。
その言葉が脳裏に離れなかった。バカにしていると思った。
帰宅すると、コンピュータに話しかけた。
「今日の釣果はいかがでしょうか」
「あんなの、釣りじゃないよ」
釣り人は迷惑そうに怒鳴った。そうさ、あんな釣りがあるものか。
コンピュータが配合したカクテルを一気に飲み干すと、ベッドに倒れて、うつぶせになった。
何もかもが人工なのさ。この家の大地、地球、太陽までもが人工なのだから嫌になる。そう呟き、目を閉じた。
釣り人は思い出していた。
きらきら光る川、青い海、緑の草花、眩しい太陽。
釣り人の頬に涙が伝わった。
川にさまざまな汚染物が流れ込み、悪臭が漂う。その水の中で魚は生息している。
自然を破壊した人間は汚染された場所から、もっと水のきれいな場所を求めて移動する。
文化のあるところに自然はなくなり、人工の川、人工の山、人工の草花が造られ、人工の川に対応できない魚は淘汰され、やがて人工の魚が造られた。
釣り人は造られた自然を嘆き悲しむ。
子供の頃、釣りをすることによって自然と戯れ、泥まみれで遊んだ思い出が蘇る。
釣り人は昔ながらの仕掛けを作り、川に投げ込んだ。
一向にあたりはなく、ただ、悪戯に風が道糸に絡みつく。
「おじさん、それ、なに?」
隣りで釣りをしている、黒ずくめの子供が訊いた。
ふと、釣り人は我に帰り、
「これはね、おじさんが子供のとき、魚釣りをした仕掛けというものだよ」
にっこりしながら子供に優しく答える。
子供は不思議そうに糸を眺め、
「へえー、でも、魚をさがす検知システムはどこにあるの?」
釣り人は苦笑いして、そして、悲しそうに子供を見た。
「ほら、糸に浮きがついてる。それで、魚が餌を食べると、浮きが沈むので分かるのさ」
子供は呆れた表情をして、
「それで、釣れたの?」
「いや、まったく釣れやしない。人工の魚は賢いからね」
子供は小さく鼻を鳴らし、「つまんない」と言いながら、そっぽを向いてしまった。
超音波のボタンを押し、検知システムのブザーが鳴るとレザーを当てた。
水中を走るレザー光線は魚に命中し、水面にぷかぷかと魚が浮いた。
子供が魚に無重力スポイトを当てると、魚は空中を飛び上がって、簡単に捕りこむことができた。
「なーんだ、小さいのばかり」
つまらなそうに子供は呟いた。
釣り人はそんな子供の様子を見ると、飽き飽きした表情で道具を片付け始めた。
----それで、魚釣れたの。
その言葉が脳裏に離れなかった。バカにしていると思った。
帰宅すると、コンピュータに話しかけた。
「今日の釣果はいかがでしょうか」
「あんなの、釣りじゃないよ」
釣り人は迷惑そうに怒鳴った。そうさ、あんな釣りがあるものか。
コンピュータが配合したカクテルを一気に飲み干すと、ベッドに倒れて、うつぶせになった。
何もかもが人工なのさ。この家の大地、地球、太陽までもが人工なのだから嫌になる。そう呟き、目を閉じた。
釣り人は思い出していた。
きらきら光る川、青い海、緑の草花、眩しい太陽。
釣り人の頬に涙が伝わった。