大田道灌公

2009年7月30日 趣味
大田道灌が狩の途中、にわか雨に遭遇した。路傍の農家に立ち寄って蓑を借りようと声をかけた。すると、ひとりの娘が黙って山吹の花を捧げた。その意味がわからず、怒った道灌は家臣に告げた。


「七重八重 花は咲けども山吹の みの一つだに なきぞかなしき」
歌の心で、実のと蓑をかけてお貸し申し上げる蓑がございませんと答えたのだろうと家臣は言った。貧しい暮らしでも、知的に慎ましき娘の気高さがうかがえる。この歌を家臣から教えられた道灌は飛鳥井雅世を師として和歌の道も励んだ。


室町中期の武将、大田道灌の像が荒川区日暮里駅前ロータリーと千代田区丸の内東京国際フォーラムにある。江戸を開いたのは大田道灌といわれている。それは権現さまを無視するための明治官僚の陰謀だろう。実際には権現様、徳川家康が天正十八年八月に江戸へ入国し江戸を開いた。東京の創始者としてかつぎ出された太田道灌は、むしろ埼玉県人で、その活躍は豆州、椎州、武州などにわたっていた。

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